◉沖藤武彦

 

 

2021年10月19日火曜日、午前10時。

 

 

相模湾二宮沖に浮かぶ坂口丸の船上で友人のヤンさん、石原さんとくっちゃべっていた梅原忍さん(53)の置き竿に異変が起きた。

 

 

「ドン。ときた」

 

 

ビーストマスター6000にたっぷり巻かれた8号のPEラインが引き出される。

 

 

タナは海面下50メートル。ドラグは3キロ弱。スプールに軽く手を添えて抵抗を加えていると110メートル走ったところで止まった。

 

 

「合わせは入れた。ゆっくりと竿を持ち上げて重さを確かめながら、絞り込むように竿を上げる感じ」

 

 

手応えは確かだった。キハダだった。

 

 

「正直、キハダをなめてた。石原くんでも54キロが釣れるんだからと、甘く見ていた」

 

 

梅原さん自身はキハダを釣り上げたことがなかったものの、先月、自分より釣暦の浅い友人、石原さんが2回目のファイトで初のキハダ、それも54.25キロを上げる一部始終を見て、なんとかなると思っていた。

 

 

加えて先月、同じ坂口丸でキハダを掛け、あと少しのところでハリが伸びて逃していたのだ。

 

 

ハリを閂キハダ「X」15号に変え、準備はできていた。

 

 

それでも、甘かった。と思った。

 

 

「上がらないとかじゃない。何をしても、動かないの」

 

 

フロロカーボン26号9メートルのハリスに対しドラグをどこまで締め込めるのか分からない。

 

 

なぜなら、いくらドラグを締めても、ビクともしない。

 

 

後に分かることになるが、ドラグを締めたからといって簡単に浮かせられる相手ではなかったのだ。

 

 

魚が再び走り始めた。

 

 

すでにドラグテンションはそれなりに掛かっているから強烈に重い。

 

 

引きに耐え、止まれば巻き上げるものの、あまりに重い。

 

 

やっとの思いで巻いても、簡単に走られる。

 

 

繰り返しているうちに息があがり、背中が痛み、腰が固まり、腕が棒になる。

 

 

「老人と海」状態である。

 

 

だが、梅原忍さん(53)はキューバの老漁師・サンチャゴとは違った。

 

 

傍に、元気なおっさん(40代)2人がいたのである。

 

 

「もうさ、ヤンさんと石原くんと、3人で代わるがわるやったの。スタンディング? ずっとは無理。持っては置いて、道糸を手繰って」

 

 

マグロリングも投入された。

 

 

「おれは持っていなかったんだけど、その前に55キロを釣り上げた人が100均で買って作ったやつだから、いざというときはなくしてもいいよって貸してくれたの。助かったよ」

 

 

そしてマグロリングが到達すると引きが弱まった。

 

 

100均、恐るべし。

 

 

攻守逆転とまではいかないものの、大人が3人がかりで道具にしがみつき、巻き上げる距離は徐々に増えていった。

 

 

それでもしばらくすると、ヤンさんも、石原さんも、体力が底をついた。

 

 

本人の名誉のために記すとすれば、ヤンさんは不定休で朝から夜中まで中華鍋を振り続ける腕力と持久力と卓越した辛さ調整能力を持つ料理人である。

 

 

それでも、ポンコツになった。

 

 

もはやチーム梅原で仕事らしい仕事をしているのは、剛樹SR165と、ビーストマスター6000だけである。

 

 

「道糸からピキピキって音がするでしょ? あれ、ビビったなあ」

 

 

PE8号が切れるのではないかと思うほどのテンション。

 

 

持ち主がビビろうがバテようが無慈悲に回転し続けるギガマックスモーターと巨魚の間に、入り込む余地はなかった。

 

 

だが唯一、入り込める者がいた。

 

 

「あと25メートルだった。そこでガタガタってやられたんだよね」

 

 

振り返る。

 

 

あの瞬間、1時間をともに戦ったキハダがサメに襲われたのだ。

 

 

サンチャゴ老人は戦友であるカジキのために昼夜を通し死力を尽くしてサメと戦ったが、相模湾では一瞬のできごとだった。

 

 

上がってきたのは巨大なキハダ

 

 

の頭である。

 

 

 

 

「なにより周りの人に申し訳なくて」

 

 

梅原さんは途中で切れてもいいからドラグを限界まで締めちゃえと思ったそうだが、それは違うと明言しておこう。

 

 

同船者のファイトを見守る立場になることが多い乗合船では、掛けた人に魚とヤリトリする権利がある。

 

 

それが回ってきただけの話である。

 

 

むしろ俺たちのために魚を見せてほしい。魚と釣りをリスペクトする同船者と船長は、そう思うものだ。

 

 

 

 

53キログラム。

 

 

驚くべきことに第一背ビレから後ろ、心臓以外の内臓を失ったにも関わらず、そのキハダは53キロもあった。

 

 

完全な魚体であれば80キロはあっただろうか。

 

 

「心臓は湯通しして、スライスしてごま油と塩で食べてみた。うまかったよ。身は大トロすぎて、赤身でないと50のおっさんにはきついぐらい」

 

 

カマから下だけなのに3家族で食べ終わらないそうだ。

 

 

そして巨大な頭である。

 

 

サンチャゴ老人は巨大なカジキのツノをマノーリン少年に、頭を船の片付けをするペドリコにあげるのだが、相模湾の巨大なキハダの頭は料理人・ヤンさんにプレゼントされた。

 

 

「いや本当に、超キハダをなめてたよ。マジでこれからジムに通おうかと思ってる。ちゃんとキハダを釣るためにさ」

 

 

ときに1尾の魚は人生を変える。かもしれない。

 

 

今年の9月、中秋の名月の前々日から二宮沖でモンスター級が釣れ続いている相模湾のキハダは、10月下旬を迎えた今、西へ移動しつつある。

 

 

まさか小田原モンスターがもう一段これから盛り上がるのか。

 

 

それとも終わるのか。

 

 

ちなみに、プロの料理人であるヤンさんが巨大なキハダの頭をどのように調理したのかは、まだ、聞いていない。

 

 

【追記】


魚類学者・工藤孝浩さんに推定体重を聞いたところ、このキハダは体重の1/3ほどを失っているのではないか、つまり、

 

53÷2×3で、79.5kg

 

80kg前後と見積もられる。

 

とのことであった。