◎今朝、クルマを車検に出すのにディーラーへ右折で入ろうとしたら、赤信号を無視して交差点を越えてきた茶色の丸っこいシトロエンに思い切りクラクション鳴らされましてね。
執拗にビャッビャッビャーって鳴らし続けるんで、なんだこいつと思って一瞥くれると、驚いたことに運転しているのは爺さんで、目は前を見たまま見開いているんですわ。
瞬時に、両国橋の交差点で爺さんの運転するクルマに赤信号の信号待ちでノーブレーキで追突された事故を思い出しましたよ。
思い起こせば、あれからもう12年。
東日本大震災も、明日で12年なんですよね。
ということで、わたくしごとながら関東地方にいるかぎり「もう」12年ですが、被災地にいくと「まだ」12年と思う場面に出会います。
そのひとつが、昨年の秋、福島県に山歩きに行った帰り、二本松の駅前で立ち寄った定食屋さんでした。
店名は杉乃家。
日没後、ひっそりとした駅前でそこだけ明かりがついていた市民交流センターの1階にある、建物の新しさと不釣り合いな、使い込まれた内装が印象的な店でした。
何も知らずに入ったのですが、のぼりにも店の入り口のメニューにも
「なみえ焼そば」
ふーん、二本松は、なみえ焼そばの名所なのか、なんて考えながら、うな丼やカツ丼に後ろ髪ひかれつつ、ならばと「なみえ焼きそば」を食べてみることにしました。
極太麺、もやし、豚肉、濃厚ソース。これが「なみえ焼そば」でした。
今まで食べたことのない焼きそばで、山から下りてきた空腹50男にあってはペロリ完食。
閉店間際だと思うのですが客足は絶えず、熱心に店の写真を撮る人も。
で、ようやく店内の張り紙や冊子を見て気づいたんです。
この杉乃屋は、東京電力福島第一原発事故により浪江町から避難して、ここ二本松市で市民交流センターの1角を間借りして営業をしている、浪江町の定食屋さんだったんですね。
その浪江の名物が、B級グルメコンテストでも知られる「なみえ焼そば」で、杉乃屋はその名店だそう。
浪江町は人口2万1000人全員が原発事故により避難を余儀なくされ(震災による直接の死者数は182名、震災関連死が92名)、ほとんどの町民が今も避難生活をしている、最も復興の遅い場所です。
山、川、海の自然に恵まれ「DASH村」があった場所、といえば分かる方も多いと思います。
ニュースでも原発事故地域の避難指示解除、住民帰還(どことなくわざとらしいイベント)などを報じていますが、浪江町の人口は令和5年1月末時点で1964人。
2万1000人だった町ですし、いまだ町の大半が帰還困難区域に指定されていることを思えば、
「まだ」震災から12年なんですよね。
味わうより早くかっ込んでしまった「なみえ焼そば」ですが、食べ終わった皿には9頭の馬。
説明を読むとこれは大堀相馬焼の皿で、9頭の馬にあやかって
「何事も馬九行久」
「なにごともうまくいく」
開運成就を意味するのだとか。
長く続く逆境にあっても諦めない、そんな思いが伝わってくるような、重厚な皿でした。
東日本大震災、とくに原発事故はいまだ癒えない火傷のように現在進行形であることを、忘れずにいたいものです。